東京電力の記者会見で思うこと

まず、先に福島第一原子力発電所の現場で奮闘されている東京電力の関係者の方々、自衛隊や消防庁などの方々、本当にお疲れさまです。おそらくはまさに戦場ともいえる状況での皆様の奮闘を想像すると、感謝と尊敬の念を抱かずにはいられません。また、負傷された方もいらっしゃるとニュースで伝えられていますが、無事に回復されることをお祈り申し上げます。

さて、朝日新聞のサイトで、東京電力の記者会見の様子を伝える記事がありました。

その中で、最後に会見が荒れた様子が伝えられています。

『電源がすべて失われた場合を想定しなかったのは何故か?』『それに対してどのような対策を講じてきたのか?』という質問に対して、東京電力は『津波が想定外だった』という回答をしています。途中をすっ飛ばして、『津波が想定外だった』という回答を初っ端からするのもよくないけれども、そもそも外部電源が全て喪失した場合に自力で動けるように発電機を用意していたわけです。津波が想定外で、その発電機が流されてしまった、電源に関する最悪の事態に対する備えが失われた、というのが答えなのに、記者は内容を理解することなく突っ込みつづけています。これではまったく議論にならないでしょう。

例えるなら、地震で外部から食料調達ができなくなるかもしれないので、災害に対する食料備蓄をしていた。しかし、それが予想をはるかに越える津波で流されてしまった。そんな状況で『災害時に腹が減ることは想定していなかったのか?』という質問をしているようにしか見えません。なんとも滑稽な話です。

また、『現状の最悪の事態がどうのこうの』とやっていますが、そんなものは原子力に関する基礎的な知識があればおおよそ予想がつく話で、言葉尻を捉えてセンセーショナルな記事を書きたいだけにしか見えません。最悪の場合は単純に、現状維持で放射性物質の漏洩が続く、もしくは機器や配管の破損が進んで放射性物質の漏洩が増えていく、それだけのことなのではないかと思います。もちろん、そうならないように現場の方々が奮闘しているのに失礼な話だと思います。

一方で、今回の東日本大震災での津波が必ずしも想定外だったかというとそういうわけでもないようです。毎日新聞の記事によると、2009年の6月に原発の耐震性再評価に関する中間報告書案の審議会で専門家から貞観津波の再来が近いことを警告されていたのに、「十分な情報がない」と先送りしていたようです。しかし、1100年も前の出来事について詳細な情報があるわけがありません(自分がWebで素人なりに調べた結果は3月14日の記事を見てください)。つまり、うやむやにしようとしていたところで今回の震災に伴う事故が起きてしまった、という状況のようです。

東京電力は民間企業ですから、経営陣からすれば余計な経費をかけたくないのも理解できます。しかし、高い公益性をもつ企業として原子力という正しく使わなければ危険な道具を託されているわけです。もっと重大な責任感をもって対応してもらわなければ困ります。

自分の勤務する会社でも経済のグローバル化に伴う国際会計基準の厳密な適用などで、経営部門の権限がどんどん強くなってきているように思います。CSR(企業の社会的責任)とかが謳われていますが、自分の勤務する会社ではあくまで建前にしかみえません。幸い、自分の関わるものは社会インフラを支えるものや、人命に関わるようなものではないのですが、それでも技術的に危ない、人として倫理的にどうなの、と思うことがあっても、結局経済論理が最優先で判断されてしまっています。

このような風潮が日本中のもっと重要な箇所でも起きているのではないかと心配です(社内にも社会インフラや人命に関わる機器を扱う部門も存在します)。安全性に関してはもちろん規格がありますが、「規格を通りさえすれば良い」という考え方と、「規格の主旨に則って設計し、規格で確認する」という考え方では全く違います。

技術立国日本とよく言われますが、現場を知らない/理解しようとしない経営部門の前に急激に脆くなってきているのではないかと心配です。

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